みなさまへ

「助けて!って言ってもええねんで」

この一言から、私たちの活動は始まりました。

12年前、大阪・天満で母子が餓死するという痛ましい事件がありました。

その少し前には、大阪・西区で幼いきょうだいが放置され、命を落とした事件もありました。当時、幼い息子を育てるシングルマザーだった私は他人事だとは思えませんでした。

「そんなことが都会の真ん中で…」

その衝撃と悔しさが、CPAO立ち上げの原点です。

当初は、きっとこれは氷山の一角、とにかく困窮する親子につながるにはどうしたらよいのか分からず、やむにやまれず、道で声をかけるところから活動は始まりました。

つながることができたら、

「まずはごはん!」食糧を届けたり、一緒に食べたりしながら、話を聴いて、必要な支援につなげようと動き出しました。

けれどすぐに気づきました。

――つなぎ先の少なさ。

「助けて」と言わせない、自己責任で片づけられる社会の中で、声を上げる余裕すらない人たちの多さも、思い知らされました。

それでも、子どもや保護者、特にシングルマザーたちとつながっていく中で、立ち止まるわけにはいきませんでした。

「話してよかった」

「ごはん、おいしかった」

「しーぱお、たのしい!また来てもいい?」

そんな一言一言が、できること、言えることも少ない私たちの活動の力になってきました。

12年が経ち、良くなるどころかさらに厳しくなる社会の中で、小さかった子どもたちは青年になり、困難を抱えながらも社会や人とつながり、何とか自立して生きている彼らに励まされています。

「よし、私たちもまだやるぞ!」と、背中を押される思いです。

子どもの貧困や虐待をなくすにはどうすればいいのか。

その問いの中で、私たちは、ごはんを届けるだけでなく、親子で安心して過ごせる居場所づくり、住まいのサポート、仕事づくりなど、“親子まるごと”支える取り組みを、つなぎ先もほとんどない中、必要性に応じて、自分たちで立ち上げるしかありませんでした。

私自身も、悩み、迷い、傷つきながらの歩みでした。

「支援する側」だとしても、誰かに支えられなければ続けられません。

制度の壁、社会の冷たさ、子どもを搾取するおとなの多さ、ひどさ…。

打ちひしがれながら、それでも、「目の前のこの子どもに、この社会の理不尽さは関係ない」と自分に言い聞かせ、心ある方々とつながりながら何とか続けてきました。

CPAOには、何か後ろ盾や安定した財源などもありません。

むしろ、ずっとギリギリの運営で、小さな団体のまま続けてきました。

それでも、ここまでやってこられたのは、たくさんの方々が支えてくださったからです。

「もうダメかもしれない」――そんな瞬間は数えきれないほどあり、これからも続くでしょう。目の前のことに追われ続ける12年でもありました。どれも安定させる余裕すらありませんでした。それでも、そのたびに、そっと手を差し伸べてくださる方が次々に現れました。

私はこれだけは自信を持って言えます。

「世の中、捨てたもんじゃない」

人は、ひとりでは生きられません。

支え合ってこそ、人として生きていけるのだと思います。

これからも、

「存在しているだけで価値がある」

「生きているだけでいい」

――そう信じて、つながり、ともに生きていきます。

「困ったときはお互いさま」

「助けて」と言っていい。

子ども支援28年、子どもの貧困問題に関わり18年、息子は今年20歳に何とかなりました。いつまで体力が続くか、、ひどくなる社会の中でどこから手をつけたらいいのか分からず、立ちすくみそうになりながら、そんなことも言ってられない毎日ですが、私はまだあきらめたくありません。

13年目が始まりました、CPAOを支えてくださったすべてのみなさまへ、心から感謝申し上げます。

そしてこれからも、よりしんどい状況に置かれている子どもたちとともに。

NPO法人CPAO

理事長 德丸ゆき子

2025年5月24日

*写真は関わりを続ける石川県珠洲市の「能登霧島つつじ」です。